ふるさと
この前、まざまざと人のふるさとを見た。
僕にとってのふるさとはどこだろうか、もちろん家はあるけど、帰りたい場所って特にないな。
今朝は、母と一緒にロイヤルホストの朝食を食べにいった
車で、昔からよくいく店舗。大原陸橋の横。家族の誰かと、モーニングは初めてだった。
二人ともあまり肉が好きではないから、山型パンとスクランブルエッグ、ハッシュドポテトがついたメニューに、ドリンクバーとサラダのセットにした。
僕は、紛れもなく埼玉県民だ。生まれた病院も、今住んでいる場所も父母の実家もさいたま市。
ただ、出身地は戸籍上、愛知県となっている。なぜかというと父親の転勤が決まって、すぐ愛知に引っ越してしまったからだ。
その後は、大阪にも五年間ほど住んで、今いる地域に戻ってきた。東(埼)名阪コンプ。
学校の課題で、自分の原風景を描く、というものがあった。
自分は、考えた末によく乗っていた車の後部座席を描くことにした。
父が運転して、姉は酔い症なので助手席。母が運転席、僕が助手席の後ろ。
それなので、いつも左からシートベルトをつけるのに慣れてしまった。
家族との思い出(特に父親)も、ふるさとも、僕にとっては車の中だろうか。
それにしても、移動の多い人生。
遊牧民族やジプシーとかって、こういう気持ちなのかな、違うかな、図書館でその辺の本でも借りてみようと思う。
地方から出てきた人ほど、会社や学校の近くに一人暮らしをして、身の回りで生活を完結させようとする人が多いと聞いたことがある。
自分からすれば、幼い時から1時間を目処にどこへでもいくことができることが楽しかった。銀座も六本木も原宿も大体1時間。週末には、家族とよく出かけた。
さいたま市ってそういう街だと思う。東京24区なんて言葉も聞いたことある。武蔵国復活?
さまざまな土地の名前や、成り立ちが気になるのも、そのせいかもしれない。
調べることは、愛するための努力の行為だ。好きな人のことは、もっと知りたくなる。
さいたまのことをもっと知りたい。おかげで、昔よりだいぶ好きになれた気がする。
でもどんなに調べても、さいたまのことをふるさととは呼べない。
どこにでも行けることを理由に、さいたまから逃げているのかもしれない。
いい思い出も嫌な思い出も、一つにまとまってくれている場所
もっと、人のふるさとを見たくなった。
おわり