サランヘヨなのかもしれない
この間、財布からお金を抜かれた(知らない人に)
遡ること2週間ほど前から、結構運が悪い気がする。(今はすこぶる元気!夏!)
言葉のはしが気になったり、悲しい出来事が起こったり
あれもこれも、ぜーーんぶ後厄のせい!なんてことにしたいくらいだけど、厄祓いしたんだった、そういえば。
でも、思えば、悪いことは簡単に積み重なっていくけど、いいことは、なかなか積み重なってくれない気がする。UNOだってドローカードとかで酷い目にあったりもするし。
人間は、とりわけリスクを回避するように作られているのは、そのせいなのかもしれない。
よし、いいことを思い出さなきゃね、
職場のオーナーに、お金なんか抜く人は地獄に落ちるわよ♩と言われたこと
遠くから眺めて、似合うと思った服がやっぱり似合ったこと
初めて会う人に、前から友達だったみたい、って言われたこと
悪いことは、思い出そうとしなくても出てくるのに、いいことはちょっと考えないと思い出せない
そういえばコーヒーを飲んだ時に、ラベルにブラックと書いてあって、確かにコーヒーの色は黒(200色あんねん♩)にも見えるけど、牛乳を注ぐことでコーヒーは茶色だと確信できるし、ブラウンコーヒーでもいいのにな、と思った。
(黒人のBlack、ブラックチョコレート、ブラックティー。西洋は比較しながら理解することが好きなのかも?)
何かが混ざったり、何かを通すことで、そのものをやっと理解できたり認知できたりすることってたくさんある。良いことが思い出せるのも、悪いことのおかげなのかもしれない。
認知、というと、自分の場合は、新しい言葉を聞いたときに漢字で理解したいタイプである。なので、業界用語が多発する授業を受けたりすると、一人でネプリーグの漢字バトルが10問同時に出てくるみたいになってすごく疲れる。
多すぎる時はカタカナでメモしとくのがおすすめ。あとで変換する気持ちを高めることができる。
人の顔も、あんまり覚えるのが得意ではなくって、どっちかというと特徴の箇条書きで認知しているので、モノマネはできるけど確かな顔が思い出せない、という現象が多発してしまう。
逆に自分は一度見たら忘れない顔、と言われた。ありがとう両親。
何回か(SNS上ででも)会ったりすると、パズルのピースが埋まっていくみたいに思い出すことができるようになるのだけど。
そういえば、昔よりも擬音語・擬態語を使わなくなったような気がする。ことばで理解したくなる気持ちが深まったことは、オトナへの成長なのでしょうか。
(≧▽≦)
ぺ。